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ニニギノミコトは神話と現実の交差点!天孫降臨と天皇の起源について

日本神話には沢山の神様が登場します。
イザナギ、イザナミの二柱からアマテラスやツクヨミにスサノオの三貴子が誕生し、その三貴子からさらに沢山の神様が生まれます
このあたりの神様はとても有名で、小説やゲームなどを通じて名前を聞いたことがある方も多いと思います。

日本神話の中では高天原(天上)での出来事から始まり、次第に葦原中国(地上)に移ります。
この地上にお話しが移るときに登場するのが瓊瓊杵尊 (ニニギノミコト)です。

ニニギノミコトが高天原から地上に降り立ち、どのような伝承が残っているのか紹介していきます。

もくじ

ニニギノミコトについて

それではニニギノミコトがどのような神様であったかを紹介していきます。

天孫降臨

アマテラスは葦原中国(地上)を治めるのは自分の一族がふさわしいと考えるようになり、アメノオシホミミという神様を派遣しようとします。
しかし、アメノオシホミミが準備をしているときに息子が生まれたため、地上へ降りる役目を息子のニニギノミコトが引き継ぐことになりました。

アマテラスはニニギノミコトに稲穂を渡し、これでみんなのおこめを作りなさいと教えてくれます。
また、三種の神器である八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)もニニギノミコトに授けました。
この三種の神器は、現在も天皇家に代々伝わる神器のことです。

実物を見ることが出来ないのが残念ですが、現代まで神話の時代の神器が伝わるというのは神秘的で凄いですね。

ニニギノミコトは葦原中国へ旅経つときに、八柱の神様と一緒にチームを組んで高天原(天上)から下りることとなりました。

官僚などのお偉いさんが民間企業に再就職することを”天下り”といいますが、今でも使われているこの言葉の語源となったといわれています。
ニニギノミコト(お偉いさん)が、天上界(役所)から地上(民間企業)に下りてきたからなんですねぇ。

道中でサルタヒコノカミという神様と出会い、道案内をしてもらい無事に地上へとたどり着きます。

このニニギノミコトが高天原からから葦原中国に降り立つまでの出来事を『天孫降臨』と呼び、、葦原中国の高千穂に降り立ったと言われています。

コノハナサクヤヒメとの出会い

葦原中国に降り立ったニニギノミコトですが、一人の美しい乙女と出会い一目惚れしてしまいます。
この出会った乙女とはコノハナサクヤヒメといい、オオヤマツミノカミの娘でした。
神話の中に登場する神様って一目惚れすること多いなぁ。

ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメは結婚の許しをもらいにオオヤマツミノカミに会いに行きます。

オオヤマツミノカミはニニギノミコトのことを気に入り、姉のイワナガヒメまで嫁がせようとしますが、とても美しかったコノハナサクヤヒメとは違いイワナガヒメは醜くかったため追い返してしまいます。

このことに怒ったオオヤマツミノカミは

「コノハナサクヤヒメを娶れば花が咲くように栄え、イワナガヒメを娶れば岩のように永遠の命を持つことが出来た。
イワナガヒメを送り返したので天津神の子孫には命の限りが出来るでしょう」

といい呪いをかけてしまいます。
天津神の子孫というのは人の子のことで、人間には寿命が出来てしまったんですね。

コノハナサクヤヒメの懐妊

無事結婚することが出来たニニギノミコトとコノハナサクヤヒメですが、なんと新婚初夜にして子供を身ごもります。
ニニギノミコトは新婚早々に討伐の遠征に出ており帰ってきたらコノハナサクヤヒメが臨月を迎えていることに驚き、

「一夜で子供が出来るのはおかしい。その子は自分の子供ではない」

と疑いを持ちますが、コノハナサクヤヒメは建物に火を放ちその中に入り

「お腹の子は貴方の子供です。
 無事に生まれてきたなら天津神の子孫である貴方の子供であり、もし国津神の子供であるなら無事に生まれてくることはないでしょう」

といいホデリ(火照)、ホスセリ(火須勢理)、ホオリ(火遠理)という三人の子供を無事出産します。

身の潔白を証明するためとはいえ燃えさかる建物の中での出産とは、美しいだけの神様ではないんですね。
このときに生まれたホオリノミコトですが、じつは初代天皇である神武天皇の祖父なのです。
アマテラスから現代の天皇家まで代々続く天皇家の歴史の長さを改めて感じることができますね。

ニニギノミコトに縁のある土地について

ニニギノミコトと縁のある土地がいくつもありますので、主なところを紹介します。

霧島神宮

天孫降臨で降り立った場所とされる所にある神宮です。
創建当初は高千穂峰の山上にあったが、噴火により被害を受けるたびに場所を変えながら祀られてきました。

何度も火山の影響を受けながらもずっと祀られ続けるというのは信仰が厚いんですね。

かつては霧島神社と呼ばれていたが、明治時代に霧島神宮と改称されました。
文明16年(1484年)に島津忠昌(しまづただまさ、島津家11代当主)により現在の場所に再興されたこともあり、島津家から代々信仰されてきた歴史があります。

山頂に刺さっている天の逆鉾を見ることが出来ます。
伝承に残る神器が山頂に刺さっているっていうのは凄いロマンがありますね。
是非見に行ってみたいものですが、厳しい登山をしないと辿り着けないようなので行くなら覚悟と準備が必要そうですね。

ニニギノミコトは稲作を伝えたということで五穀豊穣の御利益がある神様として祀られています。

新田神社(にったじんじゃ)

コノハナサクヤヒメと結婚したあと、川内(現在の鹿児島県薩摩川内市)に移ってきたニニギノミコトを祀ったのが始まりです。

薩摩川内市街地に神亀山(しんきさん)という亀の形をした小さな山があり、その山の上にあります。
新田神社の新田にはニニギが稲作を伝え、新しい田を起こしたという意味が込められているそうです。

可愛山稜(えのやまのみささぎ)

ニニギノミコトが亡くなった場所のことです。
可愛山稜の別名は新亀山とも呼ばれており、山頂に新田神社があります。

まとめ

  • ニニギノミコトが天孫降臨してどのような伝承が残っているのか?
  • ニニギノミコトと縁のある場所の紹介

高天原から降り立ったニニギノミコトについてどのような伝承があるかを紹介しました。
神話に登場するニニギノミコトは現代まで続く天皇家の始まりの神様であり、稲作を伝えてくれたおかげで現代でも美味しいご飯が食べられるのは有り難いお話しです。

現代の皇居でも新嘗祭などの神事が続いていることから、ニニギノミコトが伝えてくれた稲作が日本に与えた影響が今でも続いており、これからも後世に繋いでいく大切な文化であるといえます。

これからも美味しいお米が食べられる世の中でありますように。
最後までこの記事を読んで頂きありがとうございました。

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