当記事は私自身がインドを旅した時の衝撃から学んだ人生を幸せに生きるエッセンスです。
インドという国は、ビックリするほど嘘つきが多いです。
真実かどうかは分かりませんが「人口の8割は嘘つきだ!」と揶揄されているような国です。
実際にインドを旅していると、本当に嘘つきが多くて、嘘つきじゃない人を探すのが大変な国でした。そして、人種のるつぼでもあります。
インドは、世界の縮図と言われているほど、人種、宗教、文化など色々なものが凝縮されている国。
そんなカオスすぎる国を1人で旅をしたのですが、インドの何かの名言で
「迷惑をかけないように努力して生きるのではなく、生きていれば迷惑はかかるものだから、楽しく生きる努力をしよう。」
みたいな言葉に出会いました。
その時に、私の中でガツンと衝撃が走ったのです。
感謝が足りないと人は不幸になる
幸せとは気持ちの余裕から生じるもの。気持ちの余裕とは感謝から生じるもの。
自分は不幸だと思ってしまう人というのは、まず、感謝が足りていない。
これは、特に、頭が良かったり真面目な人が陥りやすいことなんですが、人に感謝すべきことでも、感謝よりも自分への不甲斐なさが勝ってしまい
『ありがとう』が『すみません』になってしまっている。
そんな場面をよく見かけます。
確かに「ありがとう」というニュアンスの入った「すみません」だったり、相手を尊重する「すみません」なのかもしれませんが、言霊のエネルギーは偉大です。
「すみません」は「すみません」として処理されます。
感謝を積み重ねるのではなく、罪悪感を積み重ねていきます。
たとえそこまで罪悪感を持っていなくても「自分が悪い」という情報を潜在意識に投げていくため、自己嫌悪を積み重ねてしまうんですよね。
「すみません」はどこからくるのか?
じゃあ、一体なぜ「ありがとう」と言わずに日本人は「すみません」を連発するのか?
この根源をたどっていくと「他人に迷惑をかけたくない」という思いからきています。
確かに、その美学は素晴らしいと思います!
しかし、誰にも迷惑をかけずに1人で生きていける人間なんて、果たしてこの世に存在するのでしょうか?
存在するはずがないんですよね。
どんなに素晴らしい人格の持ち主でも、絶対に何かしらに迷惑をかけて生きています。
「いや、誰にも迷惑をかけていないから」なんて言っちゃう人はかなり愚かな人ですよ。
生きているだけで迷惑はかかるもの
こんな事を言うと大げさかもしれませんが、呼吸をしているだけで二酸化炭素を排出しているわけなので、呼吸をしているだけで地球を汚していますからね。
生きているだけで地球からしたら迷惑なんですよ!
かと言って、地球に迷惑をかけるのが嫌だから、自ら天に行きますというのも迷惑。めっちゃ迷惑なんです。
だからこそ、まずは、認めなくちゃいけない。生きていれば、迷惑をかけることから逃げられないんだと。
そして、夢を持って目標を掲げて、願望を抱いて、手に入れたいものを明確にして、自分のやりたいことをやりたいように突き進めば突き進むほど人に迷惑をかけずにはいられなくなります。
迷惑をかけたくないと思うとドツボにハマる
生きているだけで迷惑がかかることを認めず、事実から目を背け、他人に迷惑をかけたくないと思えば思うほどドツボにハマっていきます。
迷惑をかけないように生きるということは、自分にフタをして塞ぎ込んで生きるということ。
なので、夢も目標も持てず、自分のやりたいことさえも見つからず、生きていることに疑問を抱くようになってしまうのです。
人に迷惑をかけない生き方の末路は絶望です。
迷惑のかけ合い=お互いさま
生きているだけで迷惑がかかると分かっていれば、お互いに迷惑をかけ合いながら生きることがこの世の真理だと分かります。
すると、自分が迷惑をかけてしまうこと(自分の弱み)、自分が助けられること(自分の強み)が分かってくるため、感謝できることが見えてきます。
お互いに感謝し合い、その感謝から気持ちの余裕が生まれ、その気持ちの余裕から幸せに気づくようにできているんですよね。
これが、お互いさまってやつです。
迷惑をかけ合うからこそ感謝をし合える。
それが人間関係のうねりであって、そのうねりに飛び込むことによって、自分だけが取り残されたような感覚は払拭できます。
迷惑はかけていい。迷惑をどんどんかけましょう。
そこに感謝することが大事なことです。
それに付き合ってくれる人こそ、大切にすべき人間関係です。それが生きるということ。
できれば、眉間にシワを寄せながら迷惑をかけるのではなく、誰かが楽しくなるように、誰かがクスッと笑ってくれるように迷惑をかけることが優しさなんだと思います。
迷惑を楽しさに変えて。迷惑を笑いに変えて。迷惑をネタに変えて。
どうか、余裕を忘れずに。