問題は問題探しをしているから問題がやってくるor問題だと思い込んでしまう。
そのメカニズムは自分で解決出来る問題を引き寄せたいと思っているからなんです。
じゃあ、なぜ自分で解決出来る
- 問題を見つけるセンサー
- 問題を拾うアンテナ
- 問題を引き寄せる波動
になっているのか?
をひも解くと大きく分けて3つです。
- 問題を解決していない自分は価値がないと思い込んでいる
- 問題を解決する自分に価値を見出している
- 評価基準が自分軸ではなく他人軸になっている
上記3つこそが問題を引き寄せ続ける原因です。
理由と解決策を潜在意識レベルの話を交えながら解説します。
結論:問題は解決しようとしない方がいい
私自身は過去にこんなことに悩んでいました。
「目の前に出現する問題を素早く解決しても次々に問題がやってくるの何なん!?」と。
お金が入ってきてもどんどん出て行く一方。
仕事上の問題を解決しても、また別の問題が降りかかってくる。
とにかく頭から湯気が出そうになるほど、面白いように問題を次々と引き寄せていました。
問題を次々と引き寄せていた原因を探っていてたどり着いた答えは
「問題を解決しようと思っているから問題が次々にやってくる」
ということでした。
少し分かりづらいかもしれませんし、感情的に理解できないかもしれないので、もっとシンプルな表現をします。
「問題を探しているから問題がやってくる」
ということなんですね。噛み砕くとこんな感じです。
===================
問題を解決したい
↓
問題解決にとりかかる
↓
ヤッター!レベルアップ!
↓
さて、次の問題は・・・(内心:問題がないと不安)
↓
こちら!!
↓
マジかよ・・・(内心:良かった〜問題あった!)
↓
問題を解決!
↓
問題を解決したい
↓
問題解決にとりかかる
↓
ヤッター!レベルアップ!
↓
さて、次の問題は・・・
↓
続く・・・
===================
という問題を引き寄せるサイクルになっているんですね。
- 問題を解決していない自分は価値がないと思い込んでいる
- 問題を解決する自分に価値を見出している
- 評価基準が自分軸ではなく他人軸になっている
それぞれの観点から問題を引き寄せる理由を解説します。
1:問題を解決していない自分は価値がないと思い込んでいる
自分の潜在意識に
- 問題を解決していない自分は価値がない
- 問題を自分で解決しない自分はダメな奴
と刻まれているのが原因のパターン。
確かに、問題解決を繰り返すことでレベルアップします。より大きな物事を引き寄せていくと思います。
ただし、問題を解決しなくなる自分や問題を自分で解決しない自分に価値があるorないというのは別のお話です。
問題を解決しなくても自分には価値があるし、問題は自分で解決しない方がいいです。
理由は以下です。
問題を解決しなくなると自分に価値がなくなるのはなぜ?
問題を解決していることが社会の役に立つことや人に立つこともあるでしょう。
それによって自己重要感を感じられて、自分自身の価値を見出すことができるのも分かる。
だからといって、問題を解決することだけが社会や人の役に立つこととは限りません。
また、自分が思う問題の質、解決手法が全てではないんですよね。
問題解決こそ正義の世界観で生きている人は全く信じられないかもしれませんが
- 何も問題意識を持たないという問題解決アプローチ
- 問題に気づいてはいるが、何も解決しようとしない問題解決アプローチ
もあります。
つまり、問題を無視していたら、いつの間にか解決していたというアプローチです。
何もせずに問題が解決しちゃうんです。手応えゼロですし、自分に価値を感じられなくなるので大変ですよね。
じっと黙っている自分、じっとしている自分でも価値をもたらすなんて信じられないと思います。
でも、それでいいのです。
問題を自分で解決しないといけないのはなぜ?
たくさんの問題を次々と引き寄せる時って、自分にしか解決出来なそうな問題ばかりを引き寄せていませんか?心当たりないでしょうか?
理由は単純で、自分で解決出来る問題を引き寄せたいと思っているからです。
「自分で」というのがミソでして、逆に自分で解決できない問題がやってきてしまうと、ものすごく迷惑を感じてしまいます。
なぜなら、手柄の全てを誰かに持っていかれるような感覚になるからです。
これは自分で問題を解決したいという欲求から来ているわけですが、それによって孤独になっていくことを忘れてはいけません。
ワンマンになっていくことを忘れてはいけません。奪うエネルギーの波動を出していることを忘れてはいけません。
そもそも問題というのは自分で解決するのではなく人の力を借りて解決するものです。なぜなら、それが社会というものだからです。
その方がよっぽど頭が良くて賢くて、合理的で、社会の役にも立って、素晴らしい人格の持ち主です。
というのも、問題を自分一人で抱えて乗り越えようとする姿勢は、確かに優秀かもしれないし頑張っているかもしれない。
だけれども、そのせいで不平不満・ストレスを溜めて、勝手にイライラして八つ当たりされたり、怒鳴られたりしたら普通に迷惑ですよね?
「何一人で勝手に抱え込んでいるわけ?周りに迷惑かけてないと思ってんの?」
と思われるのがオチです。
そういう人が身近にいたら、普通に嫌じゃないですか??
それは、まるで選挙の時にやってくる超うるせー車並み。
「選挙だからって生活にストレスをもたらす騒音が許されるの?なんなら暴走族よりうるさいんですけど・・・」
と違いは全くありません。
問題を自分一人で抱えて乗り越えようとするのはいいけど、それで不平不満・ストレスを溜めて周りに面倒な空気を撒き散らす行為は、ほぼ毎日、選挙の時にやってくる超うるせー車並みの迷惑行為なんですよね。
「いや、問題を共有したり、悩んでることがあるんだったら話してよ(・_・)」
って思うじゃないですか。
社会は問題の共有で成り立っているというのに、良いことばかりを循環させることが豊かさではありません。
「自分の力だけで問題を解決しよう」というのはポジティブな言葉に聞こえますが、実は真逆でネガティブを確信していることになります。
なぜなら「問題=悪い」と思っているからです。
そこで、ぜひ考え方をぶっ壊してみてほしいのですが、問題って本当に悪者なのでしょうか?
実は「問題=良いヤツ」なんですよ。
なぜなら、問題を循環させることで、満たされる人、活躍できる人がいます。
そして、問題をキッカケに、本当の意味で「人との繋がり・信頼関係・絆」というのが出来たりします。
「問題は誰かの才能を引き出すキッカケであり、人との繋がりを深めるキッカケ」
というふうに「問題」を再定義してみてください。
これは人生における有意義なテーマだと思うのです。
シンプルに自分で解決するより早いですし、それこそ生きることではないでしょうか。
2:問題を解決する自分に価値を見出しているから問題がやってくる
「問題を解決することで自分には価値がある」
と、潜在意識レベルで刷り込まれている場合、問題を解決する自分に価値を見出して自己重要感を感じていたいことからきています。
言い換えると、問題を解決しない自分には価値がないとインプットされているんですね。
これは、仕事上でも家庭でも友人関係でも所属しいているコミュニティでも同じです。
色んな困難を自分から引き寄せて、それを解決することによって
「よし!やってやったぜ!」
と、価値を感じたいんです。
もしくは、
「ほら!私/俺って役に立つ奴でしょ?もっと私/俺を褒めてくれよ!そして、もっとこっちに振り向いてよ!」
と、どこから来るか分からない強迫観念が刷り込まれています。
これらは、達成、成果、結果など行動面をベースに自分の価値に重きを置いています。
なので、ある一定のサイクルで「問題→解決→問題→解決」と、消耗していきます。
問題を繰り返して引き寄せる具体例
自分に価値を見出すというのは、いくつか種類がありますが、多くの場合は「人より優位に立つこと」で見出そうとしているパターンが多いです。
例えば、恋愛でパートナーとケンカをしたとします。ケンカで相手のことを「論破」しました。
「よし!私/俺のほうが正しかった!勝った!経験値を手に入れてレベルアップだ!」
というようにやっている人は結構多くいると思うんです。
例えば、会社の中でのこんな事あんな事。
上司「お前は何でこんなことが出来ないんだ・・・」
部下「すみません、やっぱり〇〇さんの言っていることが正しかったです」
上司「(内心で)ほーら、見ろ。」
とやっている人っていると思うんです。
世紀のマウンティングマンです。
問題を解決するという本質が、いつしか自分の価値を見出す道具に問題を使うようになり、自分の価値を見出すためにマウンティングすることが人生の正しさとなっているわけです。
マウンティングにより誰よりも問題解決ができる自分を感じるのが目的になっていくので、要注意です。
評価基準が自分軸ではなく他人軸になっていると問題がやってくる
上記のことに気づいた僕は、問題を解決するサイクルについていけず降参した一人です。
けど、降参してからすごく人生が好転していきました。
どんなプロセスがあったのかというと、問題解決で自分の自己価値を表現したり感じたりするのをやめたんですね。
簡単に言うと「問題解決する自分は素敵&カッコいいと思うことをやめた」のです。
問題ありきの自分ではなく、自分の存在そのものに価値があるんだというふうに内面を変えていったんです。
「何も解決しない自分もイケてるよね?…ね?」
「何も成し遂げなくても別にええやん♪…ね?」
と、思えるようにセルフイメージを変えていったんです。
自分の価値基準を「成果」「他人の目」ではなく「どれだけ自分に正直か」に変えていったんです。
具体的に変えていったのは、自分の心地良いことは何なのか?をめちゃめちゃ考えて、それに忠実に従うようにしていったんです。
評価基準を他人軸に置くのではなく自分軸に変えたのです。
自分の心地良いことを無視していると問題に囲まれる
よくよく考えると「自分の心地良いことを無視していた」ことでもあるので、それを振り返ると、少しさみしい気持ちになります。
と、言っても特に大げさなことではなく、めちゃめちゃ日常的なことで、例えば、飲み会に誘われた時。
「行かなきゃ!」で考えるのではなく「行きたいのか?行きたくないのか?」で決める。
というような、とても小さなことです。
他にも・・・
- どういう休日の過ごし方をしたら気分が良くなるのか?
- どういう服を着たら気分が良くなるのか?
- どういう人たちと一緒にいたら気分が良くなるのか?
- どういう情報に触れていたら気分が良くなるのか?
こういう内側にフォーカスを当てていくようにするのです。
自分がどう感じるのか?を丁寧に観察して丁寧に自分にそれをさせてあげるんです。
人に喜んでもらおうと丁寧に頑張っていることを自分にもそれをしてあげるんです。
他人にはやってあげられるけど、いざ自分ごとになると、苦手意識を感じる人は多いと思います。
でも、自分の好きなものは何か?自分のやりたいことは何か?一緒にいたい人は誰か?というのを大切にするんです。
抵抗があったりすると思うんですが、それと同じくらい心の奥底で自分を置き去りにしていると感じることがあるかもしれません。
でも、それくらい自分の事を考えてあげられていなかったという現状把握になります。
もちろん、自分の事をきちんと考えていくと、次第に自己肯定感が上がっていきます。
すると、外で何が起きてもいい意味であまり興味が無くなってきます。
比較・競争・嫉妬の波動で生きているステージからどんどん離れていきます。
離れるというよりは「どうでも良いことだったんだ」という事が見えてきます。
すると、「問題を見つけよう!」というアンテナが立たなくなったり、「問題を感じにくくなる」ので問題がやってこなくなるのです。
自分への質問を変えると潜在意識が書き換わる
これは脳の仕組みと引き寄せの仕組みを考えたらそうなんです。
自分に対する質問が「問題はどこかに無いのか?」ではなく「自分は何をしたら喜ぶか?」という質問に変わると「自分の喜ぶこと」に焦点が当たります。
だから「自分の喜びそうなこと」しか目に入ってこなくなるんですね。
だから「自分の喜びそうなこと」しか向こうからやってこないんです。
なぜなら「自分の喜びそうなこと」を探しているわけですからそうなるんです。
探しているのは「問題」ではなく「自分の喜び」です。
そうやって、内側に種を蒔くと、外側には自分の喜びそうな事という花を咲かせるわけなのです。
けど、問題ばかりを抱えてどうしよう・・・
と、思っている人のところにも同じように喜びがやってきているというのも事実なのです。
問題を探していると喜びが見えなくなる
問題を探している人は喜びが見えづらくなるように、喜びを探している人は問題が見えづらくなります。
近所のスーパーでマヨネーズを探していると、わさびが目に入ってこないのと同じです。
探すか、探さないか。
という極論になってくるのですが、選択できる自由は常に足元にあるということなんです。
ステージを変えなければいけないとか波動を変えなければいけないとかそういう難しい話ではないのです。
同じ地球で、同じ人生で、同じ人間として、同じように生きている。
けれども、見ているものが違うだけなんです。
もっと、言うと、見たいと思っているものが違うだけなんです。
なぜ問題を見ているのだろうか?と考えてみる
問題ばかりが目の前にやってくると思っている場合は、問題を見ていることで自分にとって都合の良いことがたくさんあるはずなんですね。
冒頭部分で書いたように、問題を解決する自分に価値を見出して自己重要感を感じていたいのかもしれません。
何か大事なことから逃げるために、問題を作ってごまかしているのかもしれません。
他にも何か都合の良さを感じていることがあるのかもしれません。
一つだけ確実に言えることは、問題を引き寄せ続ける人とそうじゃない人の違いは、立てているアンテナが違うからであって、なぜ立てているアンテナが違うかというと、自分に投げかけている質問が違うからです。
普段、自分に投げかけている質問に、よーーく耳を傾けてみてくださいね。
問題が問題と思わなくなる日
過去も今も同じように問題は起きている。けれども、問題と思わなくなる。
例えば、小学生の時に深刻に感じていた問題を、今も同じような深刻度合いで感じることができるでしょうか?
例えば、テストの点数が悪いと感じていた問題を、今も同じように問題と感じることができますか?
なかなか難しいですよね。今はテストの点数なんてどうでもいいと思えますよね。
過去に起こった問題が今起きても、物事の捉え方が変わると「何が困っているか理解が出来ない」というふうになってきます。
「え?それは別に良くない?」と。笑
でも、問題が好きで心地良いと感じる人もいるので、その人の生き方としては正解なわけです。
どっちの生き方を選ぶか?これは自分で決めることです。
まとめ
問題だと思い込んでいる問題や解決しなければいけないと思い込んでいる問題は、実は解決しようとしなくても良かったり、そもそも問題でないことが多くあります。
そして、あえて問題を作ろうとしなくてもいいんです。
もっと楽に生きても誰からも起こられませんよ(^^)