生きているとイライラされてしまうことがあると思いますが、イライラの原因と特徴を心理学的に深堀りしながら対策方法を解説します。
自分が生きたいと思っている生き方が出来ていないと人はイライラする
人は何かイライラする事があるからイライラしているのではなく、イライラを見つけるからイライラしてしまう生き物です。
ここで思考を止めてしまうと、卵が先かニワトリが先か理論になってしまうのでもう少し掘り下げます。
人はイライラしようという意思がなければイライラ出来ない生き物なんですね。イライラを探すからイライラしてしまう。
例えば、自分がめっちゃ楽しいと感じることをしている時って、仮に普段イライラしちゃうような事が起きても楽しさが勝ってイライラを吹き飛ばしてしまいますよね。
または、一人でいるとイライラしていることでも誰かといるとイライラしなくなるみたいな謎の現象も起きるのがイライラの性質。
という事は、冷静に考えると、イライラしたいからイライラする。そんなメカニズムがあります。
「イライラするのやめて!」はイライラの熱量を上げてしまう
例えば、SNSなどを見て、イライラしまくっている人っていますよね。
instagramやTwitterのタイムラインに出てくるお調子者の投稿を見て「何だ、調子に乗りやがって!」と叩きまくる人がいますが、こればかりはしょうがない。
「嫌なら見なきゃいいじゃん!」と言えばそれで終わるのですが、そんな正論は全く通用しません。
なぜなら見なきゃいいものをあえて見ているわけなので、イライラしたくて見ているんですね。イライラを好き好んで選択しているわけです。
だから「イライラするのやめてよ!」と言ったとしても、イライラというキーワードがトリガーになって、よりイライラに焦点が合ってしまいイライラが加熱します。
まさに火に油を注ぐような放火行為なのです。
イライラしている人がいたら「やめて」という行為は消火活動にはなりません。放置こそが最大の消火活動なのです。
イライラの原因は人や出来事ではなく自分の心の中にある
そもそも誰かをイライラさせることは出来ません。「イライラを選択してしまった」というのが正確な表現でしょう。
自分の心の中にある「摩擦・葛藤」を発散しようとする時にイライラが起こります。
自分の気持ちが満たされて楽しく生きていれば、誰がどこで何をしていようが気になりませんよね。
でも、どこか現実に不平不満やモヤモヤがあると、それを何とか解消しようとするためにイライラを活用して発散しようとする自己防衛ツールがイライラです。
イライラしてしまう本当の原因
人は自分でイライラを選択していることを潜在的に分かっているのですが、一体なぜ分かっていてイライラを選択するのでしょうか?
それは、思い通りにいかないからです。思い通りにいかないものは大きく分けて2つです。
1:思った通りに生きれていない
思い通りにいかない1つは、自分がこんな生き方したいなという理想と想いがあるのだけれど、勇気が無くてその通りに生きていないというもの。
自分が想う理想通りに生きることが出来ていない感情の摩擦・葛藤を誰かを利用して発散して、もがきまくってあがきまくっているのです。
イライラしている人は、自分らしく生きていこうと必死に葛藤しているのも事実なんです。
しかし、手を差し伸べる行為は火を注ぐ放火活動になってしまうので、イライラのサイクルはいくら他人が苦言を呈しても決して変わることはなく、自分で気づかないと抜けることが出来ません。
なので、本当にその人のことを想うなら、少し距離を置いて温かく見守るのがベストです。
2:相手に対する過度の期待
思い通りにいかないもう1つは、相手にこうして欲しいという過度な期待が成立しない。そして、相手を自分の都合のいい形でコントロールしたいけど出来ないというもの。
これはなかなか厄介です。結界を張って逃げましょう。
自分が過度に期待されたりコントロールされると、窮屈だと思うんですけどね。
嫌われてもいい人・イライラされてもいい人を選ぼう
自分の人生を楽しめていない人は、人生を楽しんでいる人を嫌うもの。
実際に、自分がしんどい時に一緒にいてくれた人が人生が好転しだすと離れていく人がいる。これって、よくあることです。
語弊を怖れずに言うと、人生を楽しんでいる人の中から嫌いになる人を選んでいるわけです。
なぜ、嫌いになるかというと自己防衛なんですよ。
その嫌いになる人の基準は色々ですが、だいたいの場合は「嫌いになっても許してくれそうな人」をターゲットにするんですね。
- 嫌っても文句を言わない人
- 嫌っても自分に害を与えない人
つまり、自分より弱そうな人、いい人や優しい人を選んで自分の満たされない気持ちをイライラで埋めているわけです。
人生を楽しんでいる人を楽しめないように仕向けることや自分より楽しめていない事で優越感を得ること。
イライラは自分の満たされない気持ちを満たす唯一の手段になるわけです。
なので、人にイライラしたり人を嫌う人というのは、人にイライラしたり嫌うことに異常なまでに執着してしまうわけです。
もちろん、それで楽しくない人生が楽しくなるわけではありませんので、イライラしても嫌っても自分の気持ちが満たされることはなく、イライラや嫌悪感を選び続けてしまうのですが…。
残念なお話なのですが、この人たちを変えることは出来ません。
なので、イライラされることや嫌われることは、生きていれば必ずあります。そして、それは一切こちらのせいではありません。自分の発散のために他人を利用しているだけなのですから。
なので、イライラされることや嫌われるを怖がっていたら、人生を楽しむことなんか絶対にできないよってことなんです。
だから、あらかじめ、こちらの方から嫌われてもいい人・イライラされてもいい人を選びましょう。
イライラされたり嫌われたりした時に、イライラし返したり嫌い返したりして同じ土俵に上がったり、何か意味やメッセージを見つけようと消耗するのではなく
「こういう人にはイライラされても嫌われてもいいや」
と割り切ることが大切です。
そして、人生をとことん楽しみましょうよ!
- イライラするのが趣味
- アラ探しをするのが趣味
- 邪魔をすることが趣味
- 哀れな姿を見るのが趣味
なわけですから、自分にとって本当に大切な人でしょうか?
どう考えても相性合わないですよね。
イライラされたり嫌われたりするのは生きていればしょうがないこと。
でも、それに対して傷付いてあげたり、自分の大切な時間を使ってあげるほど、お人好しな人生になっちゃいけません。
自分を傷付けることができるのは自分が傷付けたくない人だけ。
自分の時間を使うことができるのは自分が時間を使ってあげたい人だけ。
時間とエネルギーの使い方を間違えないことですね。
常に楽しさや幸せを選択していきましょうよ。
まとめ
うまくいかない現実を誰かに求めてもしょうがないです。どうすればうまくいくか?に焦点を当てましょう。
落ち武者のような顔をして生きていても何も楽しいことはありません。
せっかく地球に生まれてきたんです。楽しく生きようぜ。