課題の分離について詳しく解説します。
なかなか難しい話なので、出来る限り分かりやすく噛み砕きますが、どうしても分からないことが出てくるかもしれません。
また、感情的になって思考停止で読むと、全く理解不可能になってしまうので、冷静に読み進めてみてくださいね。
課題の分離をするメリット
課題の分離をするようになると、自分の人生に100%集中できるようになります。
人生が軽くなるし楽になるし他人の目もあまり気にならなくなります。
めちゃくちゃシンプルになるし人間関係がすこぶる良好になります。「これが真の自由ってやつか」と、嬉しくなります。
だから、仕事も恋愛も家庭環境もすこぶる良くなります。人とモメる理由がなくなるんですね。
ただし・・・
「0.1%も人のせいにできない生き方」
なので、最初は少しドキドキするかもしれません。
でも慣れれば楽チンです。人間関係で悩むことは皆無になります。
課題の分離とは何か?
まず、課題の分離とは何か?という概念を分かりやすく一言で表現すると
「人にはそれぞれ課題があるから自分と他人の課題を分けて考えよう」
というものです。
例えば、同じ空間で生きていても
- 漢字ドリルが課題の人
- 計算ドリルが課題の人
など、課題が全く違ったりしますし
- 小5レベルの漢字ドリルが課題の人
- 小3レベルの漢字ドリルが課題の人
など、同じジャンルの課題でも取り組むレベルの課題が全く違います。
そして、その課題は
- 問題解決サークル
- 存在意義サークル
- 自己実現サークル
- 放課後サークル
の4つのうち、自分がどの意識レベルにいるかで変わってきます。
上記4つのサークルについての詳細は「世界を構成している4つのサークル活動」で分かりやすく解説しています。
問題解決サークルの課題
目の前の問題をひたすら解決するのが課題だと思っていますが、本当の課題は問題を解決しなくてもOKという気づきを得ることが課題です。
存在意義サークルの課題
どうやったら必要とされる人になるか?を課題としています。
自己実現サークルの課題
自分の思い描いたことを実現することを課題としています。
放課後サークルの課題
課題ゼロ。
意識レベルによって課題が異なる
このような意識レベルのグループがあって、どのグループが優劣とかはありませんが、それぞれで課題が全く異なります。
そして、現実世界では、意識レベルが違う人が混在しているため、誰がどの課題に取り組んでいるのかが見えづらくなっているんですね。
意識レベルによって課題が人それぞれあるんだけど、同じ空間で生きていたり同じ環境で生きていたりすると
「みんな同じ課題に取り組んでいる」
と、思い込んでしまうのが人間の性質で
「みんな同じ課題に取り組んでいる」
と、思ってしまうことが原因で様々なすれ違いや摩擦を生んでいき、人間関係の悪化や生きづらさを感じるように構成されています。
人によっては
「自分の課題を正当化しすぎるあまり、違う課題を持っている他人に自分の課題を強要し巻き込もうとする」
なんて人もいます。
「課題の分離」ができないと人間関係のすれ違いが起こる
自分が「問題解決サークル」にいるのに「存在意義サークル」にいる他人から存在意義サークルの課題を提示されると、話が噛み合わないのですれ違いが起きます。
「そんなこと気にしてないで役に立つことしようよ!」
と、言われると「はぁ?」とムカついたり「言ってることがよく分からん」となったりします。
また、自分が「自己実現サークル」にいるのに「存在意義サークル」にいる他人から存在意義サークルの課題を提示されると、話が噛み合わないのですれ違いが起きます。
「そんなの無理に決まってるじゃん!それよりも求められることやろうよ!」
と、言われると「はぁ?」とムカついたり「言ってることがよく分からん」となったりします。
このように、課題の分離ができないと人間関係にすれ違いが起きます。
そして、そもそも意識レベルによって「課題が違う」という前提があります。
意識レベルによって課題を分離させて考える必要があると踏まえておくことがポイントです。
生きてきた文化・時代背景によって課題の分離も起きる
対人関係だけではなく文化によっても課題が変わってきます。
蛇口をひねればキレイな水が永久に出続ける文化を持つ僕たち日本人は「洗濯」というものに対する基準が世界最高水準です。
僕たち日本人が持っている「洗濯」という課題は、ただキレイになるだけじゃダメ、ただ全自動というだけじゃダメで
- 洗剤を使わない
- 服を傷ませない
- シミを残さない
などの課題を感じていますよね。
しかし、蛇口をひねっても、キレイな水が出てこないどころか、そもそも毎日水が出ることはあり得ないという文化を持つアフリカ。
「洗濯」というものに対する基準があってないようなものなんです。
- 臭いが消えればいい
- 洗剤をたくさん使っておけばOK
みたいな感じです。
意識レベルで課題が異なるし文化レベルで課題が異なります。
もっと言うと、生きてきた時代で課題も異なるんですよね。
課題の分離をする大切な考え方
課題の分離をしていく上で大切な考え方があります。
ここを抑えていないと課題の分離が出来るようになりません。以下4つはマストです。
- 「これは自分の課題か?」を常に考える
- 他人に期待しない
- 他人の課題に介入しない
- 他人にはタネをまくことしかできない
他人の課題までも自分の課題と捉えてしまうと自分の人生を苦しくしてしまいます。
つまり「それは私/俺の課題じゃないわ」と言えるかどうかが鍵です。
なぜなら、人は誰しも他人の人生の責任を取れないからです。
そして、他人の課題に介入することを他者貢献と捉える人も少なくないですが、他人の課題に介入することは他人を弱らせて貶める行為なんです。
上記4つが分かるようなエピソードを僕の実話で例を挙げます。
課題の分離ができなくて苦しんだ親子の実話
私は中学生時代に、友だちを全然作ろうとしない時期がありました。
それどころか誰とも喋らない時期が1ヶ月くらいありました。
この時期の私は「友だちがいない状況」を課題とは全く思っていませんでした。
「仲良くなりたいと思ってないから別に良くない?」くらいにしか思ってなかったんですね。
しかし、この光景を心配した親が「あなたにとっての課題だ」と、勝手に課題を押し付けてきました。
- 「友だち作ったらどう?」
- 「学校で仲良くしないとね」
などと言ってきました。
表面的に見ると、私の課題を見つけてくれた教育熱心な親のように見えますが違います。
親は自分の課題から逃げている状態だったんですね。
私にとっての課題は
- 環境を受け入れる
- 自分の想いを親に打ち明ける
などがありました。
親にとっての課題は
- 子離れしていく
- 子供を信じる
- 自分の期待通りに子供は動かないと知る
- 自分の人生を生きる
- 世間体を気にしない
などです。
そうやって子供に対する問題意識を、自分の課題に向き合わない言い訳にしている親の姿に私は怒りを覚えました。
そして、子供だった私は自分の課題に向き合おうとせず、親の課題に介入していました。
私は
- 「いや、放っていてくんない?」
- 「自分の子供くらい信じてよ」
などと言った記憶があります。
お互いに自分の課題から逃げ、お互いの課題ばかりに目を向けている。どちらも「自分不在」な状態で、どちらも「自分軸」を見失っている状態。
そんな状況になっていて課題の分離が全くできていない現実でした。
そして、私は荒れた反抗期に突入。
課題の分離ができなくなるタネ明かし
このように「これは自分の課題か?」を冷静に考えられなくなると人間関係にひずみが生じます。
「それは私/俺の課題じゃないわ」と言えないと、重くなります。
そして、他人に期待するあまり、自分の課題を忘れ、他人の課題に介入していってしまうんですね。
すると、どうすれば自分の期待通りに相手が動いてくれるかばかりが気になり、相手をコントロールしようとし、相手の課題をクリアしてあげることが自分の課題だとぐちゃぐちゃになっていきます。
これを「課題の混在」と言います。
そして、自分の期待通りに動かないことにイライラするようになり、自分軸を見失っていくのです。
でも、他人にやってあげられるのはタネをまくことまで。
それ以上は介入できないんですよね。
課題の分離がしにくいケース
課題の分離がしにくいケースとして「身近な人ほど課題の分離ができなくなる」という特徴があります。
その理由は、身近な人ほど
- 幸せになってほしい
- より良くなってほしい
という自分の期待が強く入るからです。
または「自分の人生の幸福度は相手次第で決まる」と、自分の人生のさじを投げ、相手に託しすぎていると課題の分離がしにくくなります。
なので、特に家族や仕事仲間、親しい友人には課題の分離がしにくいんですね。
課題の分離がしにくいケースでやるべきこと
だからこそ、相手を信じるんです。
そして、時には「それは私/俺の課題じゃないわ」と突き放すことも愛情です。
「多少傷つくことがあるかもしれないけど、幸せになっていくはずだ。だってあいつなら大丈夫だ。」
「多少失敗があるかもしれないけど、より良くなっていくはずだ。だってあいつだもん。」
と愛を持って信じて突き放すんです。
野菜を育てるのと似ている
例えば、野菜を育てる時に、水や肥料を与えすぎると根腐れを起こして腐っていくんですね。
根腐れを起こさなかったとしても、しっかり育たなかったり栄養がスカスカになってしまうんですね。
逆に水や肥料をあげないと、最初は育ちが悪いのですが、その過程で育つ術を自ら身につけていくので、結果的にスクスク育って栄養満点になるんです。
相手の課題に介入すると弱らせてしまう
野菜を育てることと同じように、自分が相手の課題に介入して自分の手を貸しすぎると、相手の力を弱らせてしまいます。
すると、相手の持っている力を育む機会、発揮する機会を奪ってしまうことになるんです。
自分の中にある相手への期待をグッと我慢できず、手を貸しすぎると相手の芽を摘むことになる。
最初は相手のためを思ってやっていたことが、いつからか自分の期待を満たすために他人がいるとコンパスが狂ってしまうんです。
そして、他人の幸せを願うあまり、他人の幸せが自分の幸せになってしまい、他人の課題を自分の課題だと抱え込んでしまうと、そこに
「自分」
がいなくなります。
例えば、これまでの人生で身近な人ほどキツい言い方で何かを指摘してくる経験ってないでしょうか?
そういう時って
- 「もっと言い方ってあるでしょ!」
- 「マジでムカつくーー!!」
- 「いや、そういう事じゃなくて!」
と、傷ついたり、カッとなったり反論したくなりますよね。
「期待、信頼、分からない」を手放す
じゃあ、なぜ、キツい言い方になったり自分の意見を押し付けてくるのか?を紐解いていけばいいのですが大きく分けて3つあります。
「期待、信頼、分からない」
です。
期待を手放す
「身近な人であればあるほど良くなってほしいと強く思うから心配される」
これは一体、誰に課題があるのでしょう?その心配は誰が取り除くのでしょう?
私/俺の課題ではなく相手自身が取り除いていくものですよね。
信頼を手放す
「心の距離が近く信頼しているからこそ言い方の配慮が薄くなってしまう」
これは一体、誰に課題があるのでしょう?
もう少し優しい言い方じゃないと苦しいよーとか、今の私/俺には分からないからもう少し噛み砕いて話してほしいなと、伝えてみるのもアリですよね。
わからないを手放す
「理解できていない」
これは一体、誰に課題があるのでしょう?
自分の知らない世界の事は全てシャットアウトという感じの、そもそも聞く耳を持っていない相手の姿勢に課題はないでしょうか。
もしくは聞いて欲しいという熱意は伝わっているでしょうか。
そんな感じです。
特に、世話好きの友人や親から管理されてるような窮屈さを感じるのは、相手の中に
「期待、信頼、分からない」
という課題があります。
これは相手の自分に対する愛情表現でもあるのですが
- 相手の思う自分の幸せ
- 自分が思う自分の幸せ
は違ったりするので、違うものは違うとハッキリ言うことも大事です。
まとめ
課題の分離を上手にやれるようになるためには
- 「それは私/俺の課題じゃないわ」という境界線を知ること
- 自分自身が相手の課題を抱えないこと
- 相手に期待しないこと
- 相手を信じること
です。
結局、人は自分の人生に責任を持つことしか出来ません。他人の人生に責任を持てる人はいませんし「〇〇さんの人生は俺/私が責任を持つ」と言っている人は少し頭のおかしな人です。
相手の人生の責任を持つのは相手ですからね。
もし「期待、信頼」を隠れ蓑に人生のさじを託してくるようなことがあればスッと避ける勇気を持つことも忘れないでくださいね。
課題の分離ができるようになると、めちゃくちゃ楽チンな人生になりますよ(^^)